微かに残た堺港町の風情。 川沿いにひっそりと立つ石碑が、時間の流れを刻んでいる。 堺事件の当事者として処刑された人達の名である・・・ 世紀の大事件堺事件では29人が連座しその中には洋画家、鍋井克之の父田丸勇六郎も含まれていた。 しかし実際死刑執行されたのは11人。鍋井克之の父、田丸勇六郎 がもし死刑をされていたら・・ 微かに残た堺港町の風情。 川沿いにひっそりと立つ石碑が、時間の流れを刻んでいる。 堺事件の当事者として処刑された人達の名である・・・ 世紀の大事件堺事件では29人が連座しその中には洋画家、鍋井克之の父田丸勇六郎も含まれていた。 しかし実際死刑執行されたのは11人。鍋井克之の父、田丸勇六郎 がもし死刑をされていたら・・
企画概要
堺事件→鍋井克之→大阪芸術大学→松井正→小出楢重→ホルベイン工業(株)と大阪を舞台にした美術の様相を振り返る時、ひとつの歯車が異なれば、まったく違ったものになったかもしれない、まさに運命としか名付けられない連続の出来事を見るのです。そのような経緯を考え、若い人たちにもぜひ知っていただきたく、今回の企画を立案いたしました。
ギャラリートーク | 1.鍋井克之と堺事件の関係 ⇨ 2.鍋井克之の人物像 ⇨ 3.鍋井克之とホルベイン工業株式会社の関係 |
ツアー・妙国寺トーク | 1.堺事件ゆかりの地をツアー形式で歩きます。 ⇨ 2.堺事件についてのトーク&妙国寺内の見学 |
鍋井克之の略歴
画家、鍋井克之(敬称略)は、明治21年(1888年)大阪に生まれ、昭和44年(1969年)に亡くなった。天王寺中学から東京美術学校を出て、二科展を経て二紀会の創立メンバーとなり、また、大阪芸術大学の最初の学部長美術学科教授となった。画風は、重厚な風景画で紀州・串本の海の風景を数多く描いている。大阪・池田市の名誉市民でもあった。その鍋井先生が「わたしは生まれていなかったかもしれないんです」と云った。それは、鍋井先生の父君が土佐藩士の一人で有名な堺事件(明治元年、1868年)に連座、11名までが切腹を執行され、それ以降が急遽中止された。鍋井先生の父君(田丸勇六郎、鍋井は養子)は運よく刑を免れたのである。事の話は森鷗外が【堺事件】に書かれている。また、鍋井克之は、大正13年、大阪で最初の洋画研究所「信濃橋洋画研究所」を東京美術学校の同級だった小出楢重らと創った。小出楢重は、画材のホルベイン工業の前身「吉村商店」と懇意で、新しく油絵具の製造にあたり、先代の吉村さんが相談し、小出が好きだったドイツの画家ホルバイン(ホルベイン)がいいと進言、社名にしたというエピソードがある。また小出楢重の弟子、松井正は、鍋井の後に、大阪芸術大学教授、学科長となった。